あふぇりえいと

2010年5月10日月曜日

明智光秀をめぐって /滋賀

明智光秀をめぐって /滋賀

 GWは土日を含め5連休の方も多かったのではないでしょうか。私は5日に大津市坂本の西教寺に行ってきました。「特別公開 明智光秀展」が「明智光秀公顕彰会」によって開かれていることに興味を持ったからです。

 光秀と言えば、「本能寺の変」で織田信長を討ち、「山崎の合戦」で羽柴秀吉に敗れて、「主君殺し」と「三日天下」でさえないイメージがあります。それを顕彰する会は私が前回、滋賀で勤務した四半世紀前にはありませんでした。古文書、鎧(よろい)などが展示された表書院で、顕彰会の中島真瑞代表幹事らに話をうかがいました。

 会の事務局がある西教寺は、全国400余の末寺を持つ天台真盛宗総本山。明智一族の菩提(ぼだい)寺で、光秀や妻らの墓所もあります。

 このため以前から、光秀の命日とされる6月14日に法要は行われていました。その中で、光秀の作品もある作家の中島道子さん(現副会長)らから、「会を作ろう」という強い要望が寄せられました。「比叡山焼き討ち」の信長に対し、光秀はその際に焼失した西教寺の復興に尽くし、坂本城主として善政を行い、優れた文化人でもあった、という人柄からです。

 その「突き上げ」で、1988年に会は発足。しかし当初、中島幹事が光秀の古文書や資料などを求めて近畿各地を歩き回った時は「何で逆臣を」という反応でした。それが歴史ブームや歴史的人物の見直しが進み、今は周囲の抵抗感もなくなったそうです。現在、会員は全国に約千人。滋賀・京都・岐阜・福井の10以上の市町の観光協会などが「明智光秀公ゆかりの地連絡協議会」を結成していることも教えてくれました。

 境内の句碑に目を移すと、光秀辞世の句、「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」が刻まれています。

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