心打つ肉声 戦争体験をDVDやビデオに /滋賀
◇悲しみと苦しみ、今だから伝えたい
高島市民3人が同市立今津図書館の求めに応じて太平洋戦争時代の体験を語り、その映像が収録された(10日滋賀面に掲載)。日本の無条件降伏から64年。体験世代が高齢化し「日本の戦争」が人々の記憶から薄れつつある。旧日本軍に召集され戦場の悲惨さを眼前にした若者、空襲の危険を逃れて疎開したもののつらい生活を余儀なくされた少女……。語った3人は今、90~75歳になる。自身を顧みて平和を願うこん身の訴えの一端を紹介する。【塚原和俊】
◇目の前で力尽きて死んでいく戦友--高島市今津町弘川、前川勇次郎さん(89)
「マレー半島の激戦及びシンガポール島の突入激戦」「商船山里丸の轟沈(ごうちん)」の2巻に計2時間、収録した。
1940(昭和15)年に陸軍に応召し自動車部隊に配属された前川さんは、今のベトナムからタイ方面で、現地軍司令官・山下奉文中将らの運転手を務めた。山下中将は英国軍を降してシンガポールを占領し「マレーの虎」と呼ばれた。
前川さんはマレー作戦にともなう激戦の修羅場をいくつもくぐり抜ける。前川さんが運転する司令官車の前後の護衛車が破壊されたこともあった。眼前で戦友が次々に命を落とした。スマトラ島(現インドネシア)へとマラッカ海峡を船で移動中に魚雷を受けた。前川さんはたまたま甲板にいたが、自動車の点検に船倉へ降りていた仲間が犠牲になった。船が沈む際に生じる大渦に、大勢の兵が巻き込まれ海中に没した。前川さんはカナヅチで救命胴衣が命綱。近くに骨折した戦友が浮かぶ。声をかけて励まし続けたが、重油の海に火が着いた。
「九死に一生の連続だった」という前川さんの話しぶりは、つい先日のことのよう。力尽きる戦友の名を呼ぶ時、涙をこらえられない。声も裏返る。「大勢死にましたぁ。あまりに悲惨でしたぁ。最期の叫び声は決まって『オフクロー、おかー、助けてくれー』です。今も耳の奥に残ります」。十数年前、書を手習いした。写経して額装し、犠牲者らへの鎮魂としている。
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