134年の歴史を閉じる東近江・政所小
◇優しい心いつまでも--4月からは山上小に統合、多くの友だち作ろう
鈴鹿山系の山あいにある東近江市政所(まんどころ)町の市立政所小学校が3月末で134年の歴史を閉じる。かつては本校と分校に計263人の児童がいたが、今は13人。1年生と3年生はいない。過疎化で今後も児童が増える見込みがないため、4月から愛知川に沿って10キロ下流の山上小に統合される。学校は29日、閉校式とお別れ会を開く。同校の児童たちはとても素直で、何度も取材で訪れた私には寂しい限りだ。お別れ会の準備に追われる同校を訪ね、消えゆく学校の周辺をたどった。【斎藤和夫】
市役所永源寺支所(旧永源寺町役場)から車で20分。愛知川に沿って山道を約10キロ登った所に学校はある。昨年暮れに降った雪がまだ残る。
児童13人が音楽室でお別れ会に向け演奏や歌の練習をしていた。「ちょっと音が合わないな」。6年生の児童が言う。「先生の音が悪かったのかな」。先生が言う。家族的な雰囲気の中で練習が進み、最後の「ふるさと」の合唱では、みんなの声が合い、その日の練習が終わった。
4年生の大蔵里菜さんは4月から山上小に移ることについて、「寂しい。けど、今度は友だちがいっぱいできると思う」と複雑な心境を語ってくれた。大蔵さんは入学したときから同級生がいなかった。1年下の学年もゼロ。だから、学校が消える寂しさと、友だちができるという期待が入り交じる。
同校は山と清流に囲まれたへき地にある。木でこまやこけし、おわんなどを作る「木地師」の発祥地として知られ、政所茶、きのこ栽培、こんにゃく作りが盛んだ。1875(明治8)年創立。林業が盛んだった1958年には、七つの集落に385世帯、1692人が住み、本校と四つの分校に計263人が通った。しかし、林業の衰退とともに過疎化と高齢化が進み、分校は次々と閉校。政所中学も04年春に閉校し、同小だけが残った。今年1月の七集落の人口は523人にまで減り、典型的な過疎の町になってしまった。
私は10年前から同校によく取材に行き、茶摘みやイワナの飼育などの取材をした。その際、児童が礼儀正しくものおじしないのと、いつも地域の人が子どもたちを支えていることに感心していた。
イワナの飼育は今の小川脩哲・市教育長が同校校長だった十数年前に始めた。小川教育長は「小さな学校だが、何か全国に発信したいと、清流にしかすまないイワナの飼育を始めた。見事に成功。地域の人たちの協力で養殖池を作り、ふ化までさせ、命の大切や自然とともに生きる知恵を学んだ。子どもたちはイワナのはねる学校のことをいつまでも覚えていてくれるでしょう。そして、地域の人の思いやりも」と話す。
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