池のカキツバタは5月末に見ごろを迎え、6月上旬にはサツキが庭を彩る(滋賀県栗東市の大角氏庭園)
やはり普通の家ではなかった。大角家は屋号を「ぜさい」と言い、徳川家康の腹痛も治したとされる胃腸薬を商う「和中散本舗」として広く知られていたという。2つの宿場の中間に位置し諸大名が休憩所として使ったことが同家のたたずまいを特徴付けた。
間口の広い店舗の建物東側に隣接する本陣。重厚な門をくぐり前庭を通れば「玄関の間」「控えの間」と続く立派さである。明治天皇をお迎えした実績も誇 る。欄間の彫刻や狩野永納の屏風(びょうぶ)絵を見るだけでもたっぷりと時間がかかりそうだ。一番奥に書院造りの「上段の間」があり、庭はその南側にあっ た。
旅の途中の大名の気分で縁側に腰を下ろしてみよう。
まず勾配(こうばい)をもつ築山が目に飛び込んでくる。明るい緑の芝が、稜線(りょうせん)を際立たせる。丸く刈り込んだサツキのほか、マツ、カエデ、 モチノキなどが混植している。成長した植栽によって、石組みの存在が少し弱いが、約500平方メートルの空間にたたみ込まれた景観は迫力がある。
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本来は池のまわりを歩いて楽しむ池泉回遊式庭園。しかしこの庭はやはり、書院に座して見る眺めが一番だろう。
遠くに日向山(にっこうやま)を望む。母屋が南を向いているのに対し、庭に面した上段の間が20―30度東に振られているのは、この山を借景とするため。目線より高く盛られた築山と生け垣によって外界と遮断された景色は、一幅の絵画を見ているようである。
正式な記録はないが、庭石の配置から見て庭園は小堀遠州(江戸時代初期の近江小室藩主)の作との説もある。秀吉、家康に仕え、茶人、作庭家として名をはせた遠州の作か否か? 推理するのもロマンがあって楽しい。
長い年月で、庭も変化もしているに違いない。24代目当主、大角弥右衛門さん(84)にお話をうかがった。
「そうですね、築山は少しずつ土が流れていますし、その西側にあった滝も今は枯れてしまっています」
庭の裏を流れていた天井川の葉山川が、県道116号に造り替えられたのが原因という。川から取水した流れが滝石に跳ね、池に注がれる音を想像してみた。静かな庭園に響く水音が客人の旅の疲れを癒やしたにちがいない。
同じく長年、旅人を楽しませてきた4本の松の1本が昨年、突然枯れ始めた。急いで消毒してもらい、回復を待っていると言う大角さんの表情が曇る。代々守り続けてきた商家の歴史やその思いが老木の変化を通して伝わってくるようで胸が熱くなった。
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