古代人が石器に利用した「下呂石」について、岐阜県博物館(同県関市)が各地の遺跡から出土した石器のデータをまとめた結果、下呂石の流行期は約 1万年前と約4000年前の2回あったことが分かった。両時期の分布状況の違いなどから、古代人の生活様式の移り変わりが明らかになりつつある。
下呂石は岐阜県下呂市の一部でしか産出されない流紋(りゅうもん)岩の一種。独特の光沢があり、美しい。それぞれの流行期では、分布域と使用方法に大きな違いが見られる。
約1万年前の流行期では、下呂石の石器が使われた範囲は岐阜県内を中心に、西は滋賀県の琵琶湖周辺から東は約250キロメートル離れた千葉市の六通神社南遺跡にまで及ぶ。槍(やり)先に取り付ける尖頭器(せんとうき)や、やじりなどの剥片(はくへん)石器が多い。
約1万年前に広範囲に広がった理由を、同館の長屋幸二学芸員は「石器は実用的な使われ方のほかに、男性の強さを示すシンボルでもあった。より美しい石器を求める中で下呂石の評判が高まり、現在のブランド品のように広まっていったのだろう」と説明する。
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