近江風物詩2009:幻住庵(大津市) 旅の疲れを癒やした芭蕉
「先づ頼む 椎(しひ)の木も有り 夏木立(なつこだち)」
江戸時代の元禄3(1690)年4月から4カ月間、大津市国分の「幻住庵(げんじゅうあん)」に滞在した松尾芭蕉(1644~94年)が「幻住庵の記」の最後に添えた一句だ。大津市発行の「大津と芭蕉」などによると、「この庵(いおり)をともかくも頼みとして身を寄せるのだなあ。傍らには頼もしげな椎(しい)の大木もあり、夏木立も涼しげだ」との意味が込められているという。
今年7月下旬の国分山は、強い日差しで木立の葉が透けて輝き、椎の大木も高くそびえていた。作品に出てくる「とくとくの雫(しずく)(清水)」も静かにわき出ていた。セミの鳴き声が一帯を覆い、蒸し暑さで汗が噴き出す。三百余年前、芭蕉もこのような光景のなかで冒頭の一句を詠んだのだろうか。
幻住庵は国分山東側斜面の中腹の近津尾(ちかつお)神社内にあり、大津の街並みと琵琶湖を一望できる。芭蕉は門人の膳所藩士、菅沼外記定常(曲水)の勧めで曲水の叔父の所有だった幻住庵に滞在したという。ここでの生活が「幻住庵の記」の題材だ。芭蕉の滞在は、「奥の細道」の旅で江戸をたち、東北、北陸を経て終点の大垣(岐阜県)に至った翌年だ。「奥の細道」の旅でかかとを傷めて旅を終えた後、「今歳湖水の波にただよふ(琵琶湖のほとりに至った)」と「幻住庵の記」に記されている。
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