彦根・佐和山城跡、堀跡見つかる
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豊臣秀吉の重臣、石田三成(1560~1600年)が構えた佐和山城の遺跡(彦根市佐和山町)の初の発掘調査で、三成が城主だったころの武家屋敷の堀跡な どが見つかり、滋賀県教育委員会が23日発表した。堀跡から、秀吉の好んだ「五三の桐」の紋様をかたどった紐(ひも)金具も出土。県教委は「秀吉が重臣を 置いた要衝の城で、中近世城郭史を解明する上で貴重な足がかり」と話す。 ■秀吉好み文様 紐金具も出土 調査は今年4月から、佐和山の東北山すそ「奥ノ谷」の一部約2280平方メートルを発掘した。堀跡は、長さ約250メートル、幅2~3メートル。谷筋の南側に沿うように東西に直線状に伸び、20~30メートルごとに谷筋北側に屈曲、「コ」の字型を示す。 城郭周囲の武家屋敷は堀で区画される例が多く、今回の発掘はその実例といえる。堀跡の辺りは、江戸後期の「佐和山城絵図」(重要文化財、彦根城博物館所蔵)にも「侍屋敷」と記されている。 紐金具は手箱の蓋などの閉じ紐を掛けるもので、縦5センチ、横3・7センチ。「五三の桐」の紋の彫り方、花や葉のバランスが桃山時代の特徴と一致する。この紋は秀吉が好み、重臣などに使用を許した。 堀跡から、大阪城築城開始(1583年)以後の瓦、珍しい陶磁器も出土し、県教委は「石田家の上中級の家臣が住んだ屋敷の一部」と判断した。 |
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