あふぇりえいと

2010年1月6日水曜日

湖国ふしぎ巡り:/4 三上山のムカデ退治 /滋賀

湖国ふしぎ巡り:/4 三上山のムカデ退治 /滋賀

 ◇時代や舞台、解釈多様

 激しい雷雨とともに山から姿を現した巨大なムカデ。無数の足に火を灯(とも)し、黒光りする体の大きさは実に、三上山(標高432メートル)を7周と半、巻き付けたという--。

 大津・瀬田の唐橋に伝わるムカデ退治の伝承は、平安時代の武将、藤原秀郷(ひでさと)(俵藤太)が竜王の娘の願いを聞き入れ、弓矢で巨大ムカデを倒す物語だ。1本目、2本目の矢では歯が立たず、焦った秀郷。「ムカデはだ液に弱い」という古老の言葉をはたと思い出し、先端につばを付けて放った3本目で見事、息の根を止める。その功績で琵琶湖底にある竜宮城に招かれ、不思議な力を持つ布や鍋、梵鐘を持ち帰った。

 「ムカデは嫌われものの象徴。朝廷に逆らった平将門をムカデに例えたのでは」。唐橋近くの雲住寺住職、井野泰雄さん(62)は言う。伝承は、将門を討ち取った秀郷の武功を伝えている、という解釈だ。寺には、秀郷が退治に使ったという矢尻が伝わる。収蔵庫の一角にしまい込まれているそれは、長さおよそ20センチ。全体的にさびで黒ずんでいる。

 異なる解釈もある。民間伝承を研究する「滋賀民俗学会」の兼康(かねやす)保明さん(60)=大津市=は「三上山の鉱物を掘り、山を荒らした山賊たちを鉱山とつながりが深いとされるムカデに例えたのでは」。困り果てた農民らが秀郷に山賊退治を依頼した、という説だ。一方、渡来人との関係で語られることもある。布や陶器は朝鮮半島から伝えられたもの。また、秀郷が梵鐘を寄付したという三井寺=同=にある三つの鐘のうち、一つは朝鮮製と分かっている。竜宮のような大きな屋敷を構えた渡来人の依頼で、武士が夜盗を退治した故事に由来するのではないか、と唱える人もいる。

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