なるほドリ:街道歩きはブームなの? /滋賀
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◇健康志向で熱い視線 東海道・中山道、数年かけて踏破も
なるほドリ だんだん春らしくなってきたね。そう言えば、草津市の旧草津川近くで不思議な灯ろうを見つけたよ。あれは何?
記者 もしや、「東海道」「中仙道」と書かれている灯ろうですか? あれは旅人に道案内をする「道標」です。あそこは、全国で唯一「東海道」と「中山道」が合流する地点。向かって右に行くと東海道、左は中山道です。
Q そんなに珍しいものだったの? もっと知りたいな。
A 戦国時代、天下統一を目指した大名たちは道の整備に力を入れました。現代のようなインターネットや電話はないので、人や物、文化や情報が行き交う道は、大変重要だったのです。関ケ原の戦いに勝った徳川家康は、1601年に江戸-京都間の海沿いの道を結んだ東海道(496キロ)、翌年に江戸-草津間の山中を通る中山道(508キロ)を整備しました。有事のために、二つのルートを作ったのです。
Q 全部歩くにはどのぐらいかかったのかなあ。
A 一般的に、東海道は10~12日、中山道は14~16日だそうです。旅人は、東海道に53カ所、中山道に67カ所ある宿場で、休み休み移動しました。東海道の方が大きい宿場が多く、距離も若干短いのですが、川越えの難所があったりして、日程が読めませんでした。込むからという理由で中山道を選ぶ旅人もいたようですね。皇女和宮も、将軍家に嫁ぐ際に通りました。東海道は「今切の渡し」(浜松市)「薩〓(さった)峠」(静岡市)といった、婚礼には縁起が悪い「今切れる」「去った」に通じる地名があったからとも言われています。
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