東海道の鈴鹿峠は、昔から難所の1つであったが、平安時代には「阿須波道」と呼ばれる官道となっていた。しかし、欝蒼とした林が覆って、昼間でも薄暗い場 所であった。やがて、鈴鹿山には鬼とその娘の鬼女「立鳥帽子姫」が棲みつくようになった。鬼の母子が住んでいる近くには大きな岩があり、その岩を二人は朝 晩毎日磨きあげ、鏡のようにしていた。そして鬼の母子は、岩に映る旅人や村人の姿を見るたびに、峠で待ち伏せし金品を取り上げては苦しめていた。母子は 「鏡岩の鬼」とに呼ばれ、人々に恐れられていた。
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